先日フラットのオーナーから「出ていってくれ」とメールで言われた。「また新しい家探さなきゃ」「新しい環境に慣れるのめんどくさいな」「自分のやるべき事を一旦ストップして家探しに時間使わなきゃくそ」とかいう思考が次々に湧いてきて頭が爆発しそうだったので、バイトから帰ってきてすぐに近くの公園まで散歩しに行った。
歩いてる途中で、「あ、これからはバッパーに住もう」と決断した。なぜシェアハウスで暮らす事を辞めてバッパーを選んだのか書いていく。
今までカナダ、NZとワーホリをし、合計で4軒のシェアハウスで暮らしてきた。”シェアハウスで暮らす”ということは、オーナー、ルームメイトの嫌なところがあったらその家を出ない限りずっと彼らの嫌なところを我慢して一緒に暮らさなければいけないという事でもある。
「嫌なところがあったら出ていけばいいのでは?」と思うかもしれないが、家探しばかりに時間を使いたくない、新しい環境に慣れるためにルームメイトと打ち解けるという作業もエネルギーを使うので頻繁に家を変える時間を取りたくない、また新しい家を探したところで必ずルームメイトの嫌なところを見つけてしまう。例えば、「足音うるさいな何でサンダル地面に叩きつけながら歩くんだろう」「なぜ部屋の中で🍃を吸うんだろう、家全体に充満するの分からないのかなコイツ」「こいつ夜中なのに何でドア”バン”って締めるんだろう」「朝の5時なのに何でニュースをイヤホン無しで大音量で聴くんだろう」「なぜライスクッカーを洗わずにそのまま置いておくのだろう、誰かが片付けてくれるとでも思っているのかコイツ」とか。そして自分は家にあまりいないのでとりあえずベットだけあればok。もちろん休日の朝にルームメイトとキッチンで少し話すあの時間は楽しいし、思い出に残ってるし、とか今までのシェアハウス生活を振り返っていたらふと、
「そもそもなぜシェアハウスに泊まっているんだろう。バッパーじゃだめなの?」とか考えだした。
これは「シェアハウス懲り懲りだもうバッパーで暮らしてやるくそ」みたいな投げやりな気持ちで思ったのではなく、NZに着いてから最初の2週間バッパーに泊まった経験がかなり良かったので、論理的に「シェアハウスではなく、バッパーでも良いのでは」という考えになった。
でもまあ”バッパー”と聞くと「汚い」、「ファームやってる人が泊まる場所」、「バックパッカーたちの集まり」、「騒がしい」とかのマイナスな要素を思い浮かべると思います。僕もそうでした。
しかし、実際に泊まってみると(田舎ではなく、オークランドCBDのど真ん中という立地も関係しているかもしれませんが)そこまで汚くなくて、夜11時以降は静かになるし、ベット、シーツもふかふかな感じで思ってたよりも快適に当時は過ごせていました。シェアハウスみたいに嫌なやつがいたらすぐに違うバッパーを予約すればいいし(僕が住んでたバッパーでは嫌だったら違う部屋に移してもらうこともできました)、bond払わなくていいし、オーナーの”気分で規約が変わる曖昧な契約書”にサインしなくていい。さらに、男女混合の部屋で常に人の目があるため、「”ちゃんとしている人間”、”頑張っている人間”と思われたい」というエゴが働き、朝早く家を出てバイトに行き、図書館閉館ギリギリまで勉強して夜遅く帰って、その後にVictoria Parkでバスケしにいったり、寝る前にスマホ触らずにすぐに寝るようにしたりとかいうのが自然とできてました。僕人目がある場所ではダラダラなんて絶対しないです笑笑。女の子がいる場所だと特に。その結果自分の人生がどんどんレベルアップしていってるように感じたのを覚えています。たった2週間だけでも。これがもしシェアハウスに住んでたら今述べた事は毎日やらないです。何かしらサボります。CBD出たら田舎だし。周りに知り合いいないし。誰も見てないし。あとバッパーは常に誰かしら部屋にいるから寂しくないのも良い笑笑。そして家に殆ど戻らないのでバッパーでもシェアハウスでもどっちでも良いというのも理由としてあります。
ここまで色々バッパーで暮らす理由を書きましたが全部後付けみたいなもんで、実際に散歩してた時に自分が心の根っこで思っていた事は、
“自分のNZ生活は何か停滞していて、なんか頑張れないけど、どうしたら良いかわからない”みたいな状況でした。オーナーに「出てけ」と言われた事をきっかけにしてバッパーに住んでしまって環境変えてしまったら何か良い方向に行くのではないか。という考えでした。
この考え/決断が自分の中で下された時に夜の公園で真っ暗だったんですけど、自分がバッパーで過ごす残りのNZ生活を想像したら心が明るくワクワクしだしたのを覚えています笑笑
オーナー俺を追い出してくれてありがとう、神様俺に今の停滞したNZ生活を変えるためのヒントを与えてくれてありがとう
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